FUJI ROCK FESTIVAL '08" 『NOT FOR SALE』

FUJI ROCK FESTIVAL ’08にて170人を占って大盛況となった
フリースタイルのHIPHOP占い師ユニット?NOTFORSALEのポスターとロゴを制作しました。
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フジロックで見かけた人がいたらうれしいです。
HIPHOPのリリックを紡ぐように
西洋、東洋の見地から掛け合いの占いをするという
前代未聞のスタイルです。
占い師四人+MC+DJ+VJという構成。
そうげんは、こちらのユニットの七人目のメンバーとしてVJをやっとります。
今後の活動では、朝霧JAMなどのフェスと、
クラブでの定期イベントなどを予定しています。
design by hoxaigraphics x shiroshichi

おもちゃデジカメ。Polaroid a520

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久しぶりにショードー買いしちゃったです。
ポラロイドのa520。まさにポラとかLOMOみたいに絵が撮れるんですけど
一応500万画素あるらしい。
しかし粒子は結構粗いし、起動はおそいし、いちいち露出やらWBやらいじらないといけないので普通のデジカメとしては使えません。
それでも、たまにはっとするような写真がでてくるので
たのしくて持ち歩いています。
子供の頃あたらしいおもちゃを手に入れたときみたいな
興奮がよみがりました。いえい。
これは、麻布十番の風景

熊本で神話に触れる

もう先週のことになりますが
熊本に旅行してきました。
松田さん主催のFORESTATION のツアーで。
本当に素敵なメンバーとの出会いに恵まれました。
高千穂峡とか天岩戸、賽の河原など
古事記や日本書紀に描かれている世界をかいま見てきました。
ここにはまだ日本文化が息づいています。たしかに。
案外、文化というものは模倣子によって伝えられる情報よりも
自然そのものがしめるウエイトが大きいのかもしれませんね。
阿蘇山のエネルギーは特にすごかったです。
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how to be a graphicdesigner, without losing your soul

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日本語タイトルは「魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本」。
書店で手に取って思わず即買いした本なわけです。まさにこのタイトル、魂を失わずにグラフィックデザイナーでいるということをみんなが考えているわけで。グラフィックデザインをするということは、単にクライアントの要望どおりに、作業が早くてきれいな物をつくるということではなくて、そこに世の中に訴えかけるメッセージ性や、作り手の魂の反映がなされるべきだと、思っているはずなんです。そういう意味では、ようやく出た本。

デザイナーでいることが大好きだ。自由にアイデアを考え、それがかたちになっていくのを眺めるのが大好きだ。
一日中、我を忘れて仕事に没頭して、プロジェクトに集中して取り組むことが大好きだ。
もう20年もこの仕事に関わっているのに、いまだに作品が印刷から上がってくるのが大好きだ(それがうまく行ったらの話)。
現在、とてもたくさんの素晴しいデザイナーがいる。ジョナサン・バーンブルック、ニコラス・ブレックマンのように、デザインの社会的役割を唱えるクリエーターたち。
パリのM/M、東京の野田凪、ロンドンのマーク・ファローのように、ため息のでるような表現を生みだすデザイナーたち。
ジョン・マエダ、ヨアヒム・ザウターと彼らの教え子のように、デザインとテクノロジーの境界をあいまいにするデザイナーたち。
スイスの若いグループBenzinや、ライアン・マクギネスとシェパード・フェアリーをはじめとする「Beautiful Losers」展に参加したアメリカのデザイナーのように、
アートの世界とデザインの世界の両方で巧みに活動する新しい世代たち。
最近University of the Arts in Berlinの春夏学期で教えたのだが、生徒の頭の回転の速さをうれしく思った(少し驚いた)。
彼らは私の世代より教育レベルが高く、いろいろなところを旅していて、文化について敏感だ。
現在、僕が教えているニューヨークのSchool of Visual Artsの修士デザイン課程の生徒にも同じような特徴がある。
その中にはハーバード大学の生物学専攻中の学生やコメディー・セントラルのシニアデザイナーも含まれている。
デザインが、どのように批評されるかについても、新たに注目されている。これを後押ししているのが、スティーブン・ヘラーの『Looking Closer』のシリーズ、評論をたくさん掲載するようになった『Emigre』マガジン、リック・ポイナーの『No More Rules』と『Obey the Giant』、そして特筆すべきは、underconsideration.comとdesignobserver.comのようなデザインブログの登場だ。私の知る限り、今までにこれほど多くの文化で、これほど大勢の人が、デザインに夢中になり批評している時代はない。
もちろん、グラフィックデザインの仕事の分野がさらに広くなれば、グラフィックデザインはさらに難しくなる。
かつては数多くの別の分野の仕事だったものが、今ではグラフィックデザインの仕事になっている。生徒の中には、作曲をしたり、映像を撮影して編集したり、アニメーションをつくったり、彫刻をする者がいる。彼らはハードウェアをつくり上げ、ソフトウェアを書き、シルクスクリーンやオフセット印刷をし、写真を撮り、イラストを描く。写植や色分解のような機械的な作業の仕事が、かつては専門職だったことはどんどん忘れ去られていく。
多くの学校はこの点を理解していて、グラフィック、プロダクトデザイン、ニューメディア、建築、映像といった学部に、今までのような境界を取り除くことで、多角的なデザイナーの教育を促進している。
私自身にとっても、状況は難しくなっている。年齢を重ねるごとに、昔やったことを繰り返したり、過去の栄冠にしがみついたりすることに抵抗しなくてはいけなくなった。
1993年に事務所を開設する以前は、ニューヨークの当時お気に入りだったデザイン会社、M&Co.で働いていた。
ティボール・カルマンが、ローマで『Colors』マガジンの仕事をするために会社を閉鎖すると決めたとき、「二番目にお気に入りの」デザイン会社で働く気にはならなかった。
だから、自分の事務所を開き、もうひとつのとても興味があったこと、音楽に集中した。小さな会社と大企業の、どちらでも働いた経験があるが、前者の方が後者よりもだんぜん楽しかったので、事務所を大きく成長させないように努力した。
働き始めたばかりの人の多くが、デザインだけに関心を持ち、ビジネスとお金についての問題を面倒だと思っているように感じる。
適切な事務所の組織づくりと、クライアントへのプロジェクトのプレゼンテーション(要するに、仕事を獲得する能力)は、インクの色やタイプフェイスを選ぶことと同じようにデザインプロセスの一部となる(プロセスだけでなく、最終的な制作物の質に決定的な影響を及ぼす)。
私は、M&Co.にいる間に多くのことを学んだ。たとえば、タイムシートをつけること。あまり几帳面になりすぎないなら、それは正しいことだと思う。
現在、私も喜んでタイムシートをつけているが、それが、ひとつのプロジェクトの収支を知る唯一の方法だからだ。
財政を自分で詳しく管理していなければ、そのうち自分が誰かに管理されることになり、デザイン事務所は、私のものではなくなるかもしれない。
財政のうまくいっていないデザイン事務所を経営するくらいなら、ビーチで寝そべって読書でもしているほうがよっぽど安上がりだ。
それ以外の、事務所経営についてのあらゆることは『The Business of Graphic Design』という本から学んだ。このビジネス実用書は、なぜ会社を始めたほうがいいか、始めてはいけないかを論理的に説明していて、事業計画の立案と諸経費の見積の方法も解説している。ひとりもしくは共同経営で開業することの、両方の有利な点も説明されている。
スティングの曲、『An Englishman in New York』のモデルとして(悲しくも)思い出されるクエンティン・クリスプからも影響を受けた。
彼は私の受け持っていたある授業で講義をしたが、インスピレーションを与える性格の持ち主だった。多くの鋭い話の中に、こういうものがあった。
「真実を話す人はみなおもしろい」。それで、考えた。これなら簡単だ、正直であるように心がけるだけで、みんなに興味をもってもらえる。
私はこの1年間、クライアントの仕事をしなかった。その時間を利用して、今までやりたくなかった(それ以前はやりたいと思い違いをしていた)分野について考えをまとめた。
実験的なタイポグラフィをつくるために、毎朝6時に起きている自分自身に驚いたりもした(締め切りに追われる心配がないのにね)。
おかげで、クライアントについてたくさん考えさせられることになった。教育しなければならないクライアントよりも、すでに教育されたクライアントを持とうと決めた。
ティボールは、自分より鋭いクライアントしか引き受けない、と言っていた(クライアントはデザインについて鋭い必要はないことを、覚えておこう)。
仕事を再開してからは、事務所の仕事の分野を広げるために、4つの異なった分野を取り入れようとも決めた。
社会問題のためのデザイン、芸術家のためのデザイン、企業のためのデザイン、音楽のためのデザインだ。
グラフィックデザイナーは、どうやって魂を失わないようにするのだろうか。私の魂はいくらか失われてしまっていて、この問題に答えるのに適当な人間なのかどうか自信がない。
残っている魂は、休止すること、いったん立ち止まって考えることでなんとか保ち続けている。
決まりきった毎日の生活では、些細な事に没頭しすぎていて、大きな文脈でものごとを考えるための時間も判断力もない。
世界中のいろいろな都市で仕事をしてきたので、それぞれには当然違いが生まれたが、おかげで逆に考えさせられた。
引越しをすることに疲れて、ニューヨークでじっとしようと決めてからは、1年間休んでみたり、ベルリンで1学期教えてみたりすることで、違いをわざとつくり出した。
たった3日間、事務所を離れてひとりで知らない町に行ってみても、違いをつくり出すことはできる。
若いデザイナーが自分の生き方を見つけるのに、この本が役に立つことを願う。「デザイナーは文章を読まない」というたわごとは、真実とは思えない。
優れた本は優れた読者を探し当てるものだ。
著者:エイドリアン・ショーネシー 翻訳:岡崎 斉、鵜久森 徹、岸田麻矢
定価2,520円 (本体2,400円+税)
AMAZONで購入出来ます。 

東京裁判

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極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん The International Military Tribunal for the Far East)は東京裁判(とうきょうさいばん)ともいい、第2次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた裁判である。
パラドックス定数の東京裁判をみる。
http://paradoxconstant.com/
お芝居のあらすじは省略するけど
東京裁判に日本の弁護団として集められた、
男達の共闘のお話。
裁判とは呼べない裁判にあくまで弁護士として立ち向かってゆきます。
面白かった。
よくもまあここまでこの裁判について知ろうと思ったものだ。
役者の演技にも演出家の愛情を感じて好感が持てる。
仮にこんな男達がいた、と思うと誇りに思えるし
この瞬間にはまだ国家としての日本が存在していたんだとも思えた。
おそらくこれが最後の日本の姿になるんだと思うけれど。

古い金魚鉢

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ナイトライダー

っていうドラマがあったの覚えてます?
くるまがしゃべる奴。「やあ、マイケル」なんていって。
子供の頃夕方テレビ東京で再放送やってて
あれ僕大好きだったんですけど。
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このガジェットってそのドラマを思い出させてしまう。
ドライバーの気分を顔アイコンで表示する『Drivemocion』
とにかく車に乗っていると相手の顔が見えないので
誤解が生じやすいのですが、これはいい。
個人的には前々からクラクションの音が単一なことに違和感を覚えています。
たとえば、道を譲ってくれたときの「プ!』と
そこどけよお前!の「プ!」が同じ訳ですよね。
で、人によってはそこを勘違いして争いに発展しないだろうかと思う訳です。
メールの文字も、例えば「結構です」
とだけ送られた場合、相手の感情がわからなくて
不安になりませんか?
そんな訳で、感情表現の幅が増えるのは、また新しいやっかいを生みそうですが
とりあえず歓迎したいのです。

宇宙ノ正体



OPAP vol.24 『宇宙ノ正体』
修行する若者達の青い生と、
自然農法を信奉し野菜を作る主婦達の生。
みるみる白くなる冬の畑を舞台に、
ちっぽけだけど愛おしい人間たちの生き様を
底抜けに明るく描きます。

横田さんのOPAP、宇宙ノ正体。
以前記事に書いた福岡さんの自然農法を題材にして
書かれた作品です。
ここに出てくる農業は完全な福岡流自然農法ではないけど
(畑を耕す描写もありますし。)
都会の暮らしを捨てて農にいきる人たちの
天国でも地獄でもないありのままの生き方が描かれています。
ちょっと芝居に対する見方が変わった作品。
それにしても、
横田さんと自分の興味のある分野がここまで
かぶっているのは一体どういう事だろう。

child line

チャイルドライン。
チャイルドラインはこれまである問題を解決することを目的とした相談電話とは異なります。電話をかけてきた子どもの匿名性やプライバシーを守り、何より話すのも電話を切るのも子どもが決める、子どもの主体性を大切にしています。そして、どんなことでもいいよ、と、よびかけながら、子どもたちのささやかな話し相手となったり、また問題をひとりで抱えている子どもにとって、だれかに話すこと、話せたことで、子どもがみずから持つ力で問題に立ち向かっていくことを支えます。ホームページより)

子供の自殺が相次いでいます。
マスコミの責任を追求するのはおいといて。今回は希望のある話題。
池本さんのブログで初めて知りましたが、
NPOハウスにあったんですね、これ。自分はどちらかというといじめられっこだった訳ですが(皆さんはお分かりでしょうが笑)
大人にその事を相談するのは大変難しいものです。
いじめられっこは子供のくせに妙にやせ我慢したり、自分で抱え込む子が多いですよね。
そういった時に、どんな話でもいいから気軽にコンタクトできる機会を与えるというのは無意味ではないと思います。
いじめについてもう一ついうと、株式会社縁人の嘉村賢州君がこんな事言ってて
ちょっとグッと来たり。
「僕は、集団で話すときは仲間はずれを絶対つくらないようにしています。」
これ、なかなか難しい事だと思うんです。ついつい人はその場のノリがエスカレートして
置いてけぼりになる人がでてくる。
そりゃね、仲間はずれが出来るのは仕方の無い事、自然の摂理という意見もわかりますよ。
でもそれだけが真実じゃないと思うんです。